編集長コラムvol.6 甘さと優しさ

頑張って勉強していたら、「無理しないで良いよ」と休息を促す
問題が解けずに苦労していたので質問したら、「これはね・・・」と答えを教えてくれた

上記は、筆者が塾長を務める個別指導「こだわり」塾においても、優しさと混同しがちな甘さとして、講師陣にも注意喚起していることの例です。

甘さと優しさの違いとは?

ではここで「甘さ」とは何か、どうすることが「優しさ」なのか、考えてみましょう。

結論から言えば、判断軸が相手のためになるかどうか、つまり主体の位置によると考えています。

冒頭の例で言えば、そもそもツライ勉強を乗り越えることこそが試練であり、そこから離脱を促すような言葉は本人のためにはなりません。また、分からない問題に出会ったときには、いかにすれば解答にたどり着けるかの考え方やヒントを伝えることが本道であり、安易に答えを教えても本人の成長にはつながりません。

結局は、厳しく接することによって嫌われたくないという気持ちや、逆に甘く接することで好かれたいという気持ち、さらには苦しんでいる姿を見ていられないという気持ち・・・いずれも一見相手を思いやっての行動にも見えますが、本質的には「自分がこう見られたい」という自分本位な考えが先行しているがゆえの行動なのです。

一方で「優しさ」の観点から考えれば、あえて厳しく接することや自主性を育てるために突き放すことも、そこに相手への思いやりがあるならそれは優しさだということになります。

もちろん、いくら厳しくすることが優しさになり得ると言っても、相手が失敗した直後に責め立てるようなことをしても受け入れがたい場合もありますし、相手の状況や感情を読み取り、それに応じて柔軟に対応できないと不信感を生む原因にもなります。つまり、優しさというのは決して押しつけるものではなく、難しいところはあります。

ただ、明確に答えを備えている類のものではなく、誰かが背負わなければいけないものでもあるからこそ、当塾の講師陣にはそれもプロとしてお客様から頂いた使命の一つとして指示しています。

本当の意味での優しさを追求することも教育業としての使命

学校などの公教育の現場では、極端な例としてモンスターペアレントの存在や体罰問題等々、非常にデリケートな現象が溢れかえるようになり、保護者世代の当時と比べても随分無難な対応に徹する場面が増えているようにも感じられます。

もちろん、そういった対応によって、文字通り無難な、何事も起きない時間は増えているのかもしれません。

しかし、それが本当に子ども達の将来のためになるのか???

本当の意味での優しさとは何か?今やっていることは実は単なる甘さではないのか??そういった問題意識は、教育に関わるものとして常に自問自答すべき大きな課題の一つではないかと考えます。