先週末の終業式を経て、いよいよ夏休みに突入。朝から塾にやってくる生徒達を見ていると、いよいよ“勝負の夏”を迎えたことを実感せずにはいられません。しかし、勉強して偏差値を上げて志望校に合格したいという熱意と裏腹に、どことなく知的好奇心の欠如した様子に対して、危機感を感じずにはいられない出来事もチラホラ。
その象徴が、先日行われた参議院選挙に関するニュースへの疎さです。何も各政党の公約だとか議席数の詳細まで聞いているわけではなく、単に各政党の議席の多少を聞いただけなのに頭の上に浮かんで見える“?”・・・。中3でもまだ公民の学習には取り組んでおらず、実感もないとは言え、ただテレビの特番が鬱陶しいという程度の認識しかないことに一抹の不安を禁じえませんでした。
ただ、こういった現象に直面して「イマドキの子は・・・」と断じるのは簡単ですが、それで何かが解決するわけでもありません。もっと言えば、この類のイマドキ論はおそらく昔からずっと、本質的に何も変わっていないのではとも思うからです。そこで、逆説的に何がイマドキの彼ら彼女らの知的好奇心阻害要因になっているのか、選挙の夜を想定した“あるべき論”との比較で考えてみました。
- 「選挙に行ってくる」と言い残して親が外出
- 家族で選挙特番を見ながら意見交換や情報交換
- 分からないことはすぐさま検索したり調べる
- 録画してあった番組を見ながら食事
- 食後もスマホ片手に各々が個別に趣向に傾倒
- 新聞も取っていないので投票結果もほとんど把握せず
少々短絡的な仮想シーン比較ではありますが、少なくとも現在におけるイマドキ論の背景にある、最も大きな要因は、“実は親も知的好奇心を欠いている”ということにありはしないでしょうか。
「何のためのスマホなのよ。調べなさいよ」という保護者も中にはおられますが、そもそもスマホには興味のある事項が優先表示されるので、わざわざ調べようとでもしない限り、興味のないこととの接点を得にくいツールでもあります。それをまだ社会との接点も極めて少ない中学生に要求するのも難しい部分があるでしょう。
つまり、率先して親が環境づくりをしていかなければ、いくらでも理想から離れていってしまう環境の方が整ってしまっているのです。(投票率が50%を割ったそうですが、ちゃんと選挙に行っている姿を示すこともその一つです)
以前に紹介した記事でも「情報感度」の重要性に触れていますが、知的好奇心云々を抜きにしても、現在の入試では時事の要素を色濃く反映した設問作りがされる傾向にあり、筆者が塾長を務める個別指導「こだわり」塾でも、受験生向け面談の際にはご家庭でニュースを流す時間を設けるようお願いしているぐらいです。
今どきの子は・・・と嘆き、ため息をつく前に、まずはそれだけの環境を提供できているかどうか、チェックしてみてください。
