1月に実施された共通テストの内容を見ても、あるいは4月から中学校で全面実施される新指導要領適応の新教科書を見ても、少なくとも今後10年に渡って、ますます暗記依存のパターン的な思考に凝り固まったタイプは伸び悩むことになるだろうな・・・これが「思考力・表現力重視」という旗頭のもとに推進される公教育に対し、実際に日々現場で学生達と接している側としての大きな懸念であり不安です。
もちろん、文科省の意図するところは良く理解できますし、実際に厳しいビジネスシーンに身を置いていたこともある人間としては、そういった環境下で育った子の方が活躍できるであろうイメージも十分に持てます。
一方で、肌感覚として7~8割ぐらいの特に中学生は、テスト前に教科書やワークの内容を無理やり暗記して、実際に暗記できた分=知っているパターンに当てはまる分が点数として表れ、それに一喜一憂して同じことを毎度繰り返す・・・というのが現実だったりします。
では、そもそもパターン的思考の何を憂慮すべきなのか、そしてどう変えていくべきなのでしょうか。
パターン型の何が問題なのか
パターン型の代表的な現象の一つが、例えば英語であれば表現を丸暗記するなどし、演習に際しては知っている、あるいは聞いたことのあるようなそれらしい表現を当てはめて回答するものです。
数学で解法を暗記してそこに数字を当てはめていくというのも、こうしたパターン型の典型例の一つです。
やっかいなのは、こういった考え方でも基本的なものならそれなりに対応できてしまうため、定期テストなどでもパッと見の印象としてはそれほど悪くはない点数が取れてしまっていた点です。
しかし、そういった取り組みを重ねているといずれ習慣になってしまい、そして脳の奥底まで染み付いてしまうと、パターンにハマらないイレギュラーな問題=思考力型の応用問題は全く手に負えなくなくなる懸念があります。
事実、定期テストの類では教科書に沿ったものが多く出題される傾向にありますが、模試や受験などでは教科書の文言や例題類は一切出題されませんし、むしろ既に思考力型の出題は増加傾向です。
そして本質的な部分として、思考力重視というのは、そういったイレギュラーな事案にも思考して対応できるようにという意図が込められており、この傾向は今後ますます強まっていくことは間違いありません。
考えても見れば、AI隆盛の現代、パターン的思考はまさにコンピュータの土俵です。いかに創造性を備えた人材になれるかを求められていると考えれば、目先のテストや受験はもちろんのこと、将来に渡って危惧すべきことなのです。
あえて“教科書を覚える”から離れてみる
では、どうすればパターン型思考から脱却できるのでしょうか。
思考力重視ということは、典型表現や公式から一歩離れた、見方を変えればそこにたどり着く上で諸々の条件を整理し、準備を整える作業から思考すべき問題が増えることを意味します。
つまり、実戦的なレベルで得点力を養うためには、押さえるべき基礎は押さえた上で、教科書から離れた演習を重ねて経験値や思考力を養うことが不可欠なのです。
また、覚えるだけでは対応できない思考力型の演習に対応するためには、一つ一つのアプローチにおける根拠が非常に重要になってきます。これを養うには、日々の学習という“プロセス”においては、正誤に関わらず自らの回答やその根拠を説明できるよう意図のあるアプローチを重ねることが有効です。
実際に、かつて筆者が英語を担当していたある生徒には、「テスト勉強をしなくても90点取れる勉強をしよう」と共有し、あえて教科書に準拠しないテキストを使用して文法的観点からのアプローチを反復しました。
さすがにテスト直前には、教科書特有の表現などへの対策から、一通り教科書の内容を確認する機会こそ確保していましたが、それも全体の学習量に占める割合から考えれば1割にも満たなかったでしょう。
もちろん結果はいうまでもなく、定期テストの類だけでなく受験戦線においても、英語は絶対的な得点源として優秀な成果を挙げ続けるに至りました。
丸付けをして“できた”“間違えた”と一喜一憂していても得点力は伸びません。一方で上記は、“できた”“間違えた”の根拠を一つ一つ明確にしていく地に足のついた学習を重ねていけば、教科書を覚えずともテストには十分に対応できるという事例であり、今後のモデルの一つになり得る“勝ちパターン”と言えるでしょう。