やるだけやったら残すは神頼み!学問の神様はここにいる!

“学問の神様”発祥の由来

学問の神様として知られる天満宮と名のつく神社は、すべて菅原道真をご祭神としていることはご存知でしょうか?
菅原氏は代々続く学問の家系で、道真も幼い頃から優れた教育を受け、学者として活躍するようになります。
ところが道真の活躍はそれにとどまらず、政治家としても時の天皇に重用されます。
しかし、当時学者が政治家として出世するのは珍しいことで、藤原氏を中心に道真を政界から追い出そうとする動きが強まります。
そうして都を追われ、大宰府に流された道真は2年後に病に倒れ、そして失意の内に世を去ります。
ところが道真の死後、災害や疫病が相次ぎ、皇族や藤原氏が次々に亡くなると、祟りを恐れた朝廷は道真の官位を返上し、京都の北野の地に神殿を建て、道真を祀るようになります。
このように、天満天神となった道真を祀る神社のことを天満宮といい、信仰の拡大とともに各地に天満宮が作られ、現在に至ります。

湯島天満宮(東京都文京区湯島3-30-1)


学問の神様として、湯島天神との呼称でも広く知られます。
創建は古く、458年、雄略天皇の勅命により天之手力雄命(あめのたぢからをのみこと)を祀る神社として創建されたと伝えられています。
学問の神様としては、南北朝時代の1355年、住民の嘆願により菅原道真を勧請して合祀したことがはじまりです。

谷保天満宮(東京都国立市谷保5209)


関東では「湯島天満宮」「亀戸天神社」と並び“江戸三大天神”“関東三天神”と呼ばれています。
東日本最古の天満宮としても有名で、蔵に収められている「天満宮略縁記」によれば、901年に道真の第3子道武が、現在の国立市谷保に配流させられ、903年に道真死去の報を受け像を刻み鎮座したのがはじまりとされます。